今日の書評

部屋に本が山積みになっている。

胴体くらいの大きさの本棚が一つあって、
入りきらない本はまとめてその前に平積みにしてある。
本棚自体を覆い隠すような山が五本あって、
なんだかアブシンベル神殿とか凱旋門とかを連想させる。

現実問題として非常に邪魔である。これでは本棚が機能しない。
一刻も早く読み尽くして、しかるべきところに売り払わなければならない。


しかし、こういう時に限って前に一度読んだ本を読み返すと面白い。
村上春樹の「世界の終りと〜」の下巻(上巻は売り払ってしまったらしい)を見つけて
読んだらハマッた。わざわざ上巻を買って読んで下巻も読んだ。

そして本の山に上巻が増えた。

いまは海辺のカフカを買い戻しそうになって我慢している。


森見登美彦の「太陽の塔」、「有頂天家族」、「きつねのはなし」も再読。

いまは「夜は短し〜」と「走れメロス」と「四畳半神話体系」を以下同文。



減らない本の山が頭に来るので書評の一つも書いてやろうかと思う。




【今日の書評】
「UFOが釧路に降りる」 (村上春樹 「神の子どもたちはみな踊る」)



しつこいようですが村上春樹
30ページと短いのであらすじは省略。

はじめに読むとなんだこれ、で終わる。

もしかするとこれは短編集ではなく長編なのかしら、
と思って次頁を開くとすました顔で別の話が始まる。
次章ではなくて別の話、である。


主人公と妻の関係。
これは「世界の終りと〜」での
「僕」と「図書館の女の子」の性別を逆転させた関係に感じられる。


「私に何も与えてくれない」
妻に何も与えられない主人公。


「彼女は君になにも与えることができない」
「僕」に何も与えられない「図書館の女の子」


この対応をメインに考え進めると、
「世界の終りと〜」で描かれた安らかで完璧でどこか見えない部分が不自然な世界と、
この夫婦が築いた家庭の対応もまた考えられる。


しかし妻にとっての状況は「世界の終り〜」より遥かに悪い。
「世界の終り」にある面では満足している「僕」とは違い、
妻は都会になじむことができない。


さらに地震によって突きつけられた「明日終わるかも知れない世界」という現実。
「世界の終りと〜」と似たような関係を夫婦で築くことができても、
現実は「世界の終り」のようなユートピアなどではない。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の「世界の終り」と違い、
「UFOは釧路に降りる」の「世界の終り」には終りがあるのである。


地震のニュースを五日間見続けた結果、
妻はユートピアに絶望し、主人公の元を去るに至る。



一方、残された主人公、小村。


彼は知らず知らずのうちに
「自分の中身」を箱に入れて釧路を訪ね、人に渡してしまうことになる。

この自己の喪失は「世界の終り〜」で主人公が影と切り離され、
やはり「知らず知らずのうちに」、心を失っていくようになることを想起させる。

妻にとって空っぽに写った主人公は、
恐らくここで本当の空っぽになってしまう。


最期のシーンが、墓石屋の向かいにあるラブホテルの中というのが興味深い。
こじづけるなら「生と死の狭間の場所」とも受けとることができる。
自分はここで、何か輪廻の間とか煉獄とか、そういう場所を想像する。


主人公は釧路で出会った二人の女性の片方に「箱」を渡す。
その後、このラブホテルに連れてこられるが、
ここで生じた問題も主人公の喪失の一端だろうか。


彼女は「箱の中身」が何だったかを主人公に宣告し、
主人公の腹に奇妙な紋様のようなものを書きながら、


(遠いところに来た気分がしても)「まだ始まったばかりなのよ」
と主人公に告げる。


そして話が唐突に終わる。



釧路で現れる二人の女性には何か超越的な側面が見られる。


彼女らは目印の「箱」が見えない状況にも関わらず主人公を特定する。
彼女らは互いを「仲間」というが、何の仲間かは明かさない。
彼女らは主人公の妻を「死んだ」と言う。
彼女の言葉は「圧倒的な暴力」である。


もちろんこれらの印象は主人公が勝手に感じたものであって、
事実とは違う可能性もある。
女性の片方は実際に短大に通っているし、
死神的な存在が何で短大に通うのかと言っても答えられない。
このあたりはメタファーでごまかすのがいい。
主人公がそういう風に感じた事実が重要なのである。
便利。


別の作品も加味して考えると、
地震」「圧倒的な暴力」「小さな箱」
『これらはすべて望ましくないもの』というカテゴリーに入る。


彼女らは「地震」と同じカテゴリーではないだろうか。


彼女らが乗る古びた「全自動洗濯機」のような乗り心地の車が、
なんとなく地獄の火の車のように思えてくる。


中身を取られ、宣告を受け、
空っぽの主人公の表面に書かれた紋様は何の意味があるのだろう。
彼を待つのは転生なのか懲罰なのか。


そして残る五つの短編を通じて徐々に救いの光明が示されていく。
もちろん話の相関は「地震」以外にはないが、
最期に納められた作品「蜂蜜パイ」で示される救いは、
「蜂蜜パイ」の登場人物のみならず、
小村にとっても、他の短編の登場人物にとっても救いなのである。たぶん。


とこのような妄想ができました。
楽しめた。